自分と音楽

あこがれからはじまり
自分の中でのスゴイ人達がいて
もしかすると自分にも可能性があるかもしれない。
その可能性を確かめる作業が始まり、気がつくと10年あまり、、、、

音楽をやっていれば幸せ。という感覚ではなく
自分にとってのスゴイ人達がいて、その人たちの仲間入りするのが自分の目標でありました。

そのスゴイ人達の持っているスゴイものを求め続け、自分の中にものすごいこだわりがあって、
他人がどうこうより、自分と向き合う作業でした。

しかし、頭の中で作り上げる自分基準とは、確実に存在はしているがあいまいな存在で。
結局はそれに振り回され、ほんとんど音楽そのものは楽しんでなかったのではないかと、
今振り返って思います。

結局は、あるはずもないブレイクスルーを求めていたのだと思います。

それは尊敬するある人のフレーズ

「木下君、音楽なんてものはね。少しづつ上手くなるなんて嘘なんだよ。ある日突然、こういうことかと、ひらめくものなんだよ。」
がきっかけ。
その人はその業界で、いわゆる成功している人で、誰もが認める存在。
自分はこの人を崇拝していました。
ので、上のフレーズは、かなり説得力をもって響きました。

その人は続けて、
「ただね、それが、明日来るかもしれないし。50歳になってやってくるかもしれない。それは誰にもわからない。しかも、いつになるか分からないそれに向かって絶えず努力し続ける必要があるんだよ。」

その人の演奏は、なにか言葉で表せない神秘的な、なにかこう、努力とかではたどり着けなさそうな、不思議な魅力があったので、自分は「ああ、この人の演奏の秘密はそれか」
と妙に納得したのでした。


自分はまじめな人間だったんですね。
今思うと、そんな純粋な人間を見るに見かねて、彼は希望でもなく、絶望でもない、アドバイスとも言えないような、助言をくれたのかなと思います。
その人は頭のいい人でした。

その彼の言葉をたよりに追求の日々は続きました。

今振り返れば、答えのない数式の答えを求めて困惑の日々でした。
と、同時に諦めの連続でした。

しかし、ブレイクスルー。これが訪れればすべての矛盾は解決されるはずだと信じて、
言いかえれば完璧主義。これを解体する作業だったと言えるかもしれません。


恥ずかしい話ですが、選ばれた人間になりたかったのです。

NYに来たのが良かった。
NYは厳しい町。YES、NOがはっきりしている。自分はそれではないし、ブレイクスルー
があったとしても、もう待てないな、と。

そういえば、親しくなった人から言われました、「そういう君の考えを原理主義っていうんだよ。」

またNYは厳しい町だが、寛容な町!チャレンジする人にはどんどん追い風が吹きます。

「28歳までミュージシャンでした。これから学者目指して大学行きます。」
なんて日本ではまず、ありえないでしょう。

アメリカは人生のリセット全然オッケー

日本の価値観と、アメリカの価値観どちらが正しいとかは言えませんが、
間違いなく言えるのは日本を覆っているのはある種のニヒリズムと言えるでしょう。

物事にあきらめた人達のジェラシーが一種のニヒリズムを産んでる感じ。

ということで音楽は才能。でも物事には正解がない。
というのがNY生活1年経過後の総括。としときます。
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by kinoyan-r | 2013-02-14 12:29  

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